【判決要旨】
①急停止した原告車に追跡していた被告パトカーが追突したことから、原告が国家賠償法に基づき損害賠償を求める事案につき、原告車の急停止は故意であったことが推認され、「自賠法3条ただし書の「被害者」「に故意又は過失があったこと」の要件が充足されていることが認められる」とし、本件事故については、「自賠法3条ただし書の「運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと」の要件が充足されている」と被告の過失を否認して、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負わないとした。
東京地裁 平成26年2月4日判決
事件番号 平成24年(ワ)第36860号 損害賠償請求事件
<出典> 交民集47巻1号213頁
【主 文】
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
【事実及び理由】
第一 請求
被告は、原告に対し、159万3,535円及びこれに対する平成23年12月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
1 本件は、原告が、①原告の運転する普通乗用自動車(以下「原告車」という。)と被告の保有する普通乗用自動車(警ら用無線自動車。以下「本件パトカー」という。)との間で発生した交通事故(以下「本件事故」という。)により、合計56万1,135円の損害を被り、また、②被告らの職員である複数の警察官から暴行を受け、逮捕の理由も必要性もないにもかかわらず現行犯逮捕(以下「本件逮捕」という。)されたことにより精神的苦痛を被り、その慰謝料は100万円を下らないと主張して、被告に対し、①のうち人的損害については自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)3条に基づき、物的損害については国家賠償法1条1項に基づき、②については国家賠償法1条1項に基づき、総合計159万3,535円(原告は、①の損害額の主張を59万3,535円から上記金額に変更したが、これに対応する請求の減縮をしていない。)及びこれに対する平成23年12月29日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提となる事実
以下の事実は、当事者間に争いがないか、後掲各証拠(略)及び弁論の全趣旨により容易に認められる。
(1) 本件事故前の経緯(争いがない。ただし、その余の詳細については、後記のとおり争いがある。)
ア 原告は、東京都<地番略>に所在するB公園(以下「B公園」という。)の西側の路上において原告車を停車中、警視庁C警察署(以下「C署」という。)地域課巡査部長丙川三郎(以下「丙川巡査部長」という。)ら警察官から職務質問を受けたが、これに応じなかった。
イ その後、原告が原告車を発進させたため、丙川巡査部長が、本件パトカーを運転して、原告車を緊急走行(赤色灯点滅、サイレン吹鳴)で追跡するとともに、C署地域課警部補丁山冬夫(以下「丁山警部補」という。)を含む他の警察官も、本件パトカーに続いて原告車を追跡した。本件パトカーに同乗していたC署地域課巡査長戊田五郎(以下「戊田巡査長」という。)は、追跡中、原告に対し、車載マイクを使用して停止を求めた。
原告は、本件事故直前、原告車にブレーキをかけて停止した。
(2) 本件事故の発生(争いがない。)
ア 発生日時 平成23年12月29日午後9時01分頃
イ 発生場所 東京都<地番略>
ウ 原告車 原告の運転する普通乗用自動車
エ 本件パトカー 丙川巡査部長の運転する被告保有に係る普通乗用自動車
(警ら用無線自動車)
オ 事故態様 本件パトカーが原告車に追突した(事故態様の詳細については、後記のとおり争いがある。)。
(3) 本件事故現場付近の状況及び原告車の状況
ア 本件事故現場は、B公園の西側に沿って走るa街道方面(北方向)とb街道方面(南方向)を結ぶ片側2車線の直線道路(通称c通り。以下「本件道路」という。)のb街道方面行き車線の第2車線(以下「本件第2車線」といい、b街道方面行き車線の第1車線を「本件第1車線」という。)である。
本件道路は、車道幅員が16.0メートルであり、そのうち、各第1車線の幅員が約5.0メートル、各第2車線の幅員が約3.0メートルであり、本件道路の両側には歩道が設置されている。
イ 原告車は、黒色の自家用普通乗用自動車(日産セドリック)であるが、本件事故当時、天井部に防犯灯様のものが設置されていたほか、車内前部には、助手席の前方にスーパーサイン(通常、タクシーに装備されている、空車、賃走等を表示する機械)様のものが、運転席と助手席の間に料金メーター様のものが、それぞれ設置されていた。
(4) 被告の運行供用者性(争いがない。)
被告は、本件事故当時、本件パトカーを保有し、自己のために本件パトカーを運行の用に供していた者である。
(5) 原告に対する本件逮捕、勾留(争いがない。)
原告は、平成23年12月29日、道路交通法(以下「道交法」という。)違反の被疑事実で現行犯逮捕され(本件逮捕)、その後、平成24年1月19日まで勾留された後、不起訴処分となり釈放された。
(6) 本件事故及び本件逮捕後の原告の治療経過(ただし、原告の受傷が本件事故又は本件逮捕によるものか否かについては、後記のとおり争いがある。)
ア 原告は、平成23年12月29日午後11時50分頃、D病院を受診し、右肩痛、頸部痛、腰部痛の症状について、打撲症との診断を受けた。
イ 原告は、平成24年1月11日、D病院を受診し、夜眠れない、頸部が痛むとの症状について、不眠症、頸部神経痛との診断を受けた。
ウ 原告は、平成24年1月19日、E病院を受診し、頸椎及び腰椎捻挫との診断を受け、その後も同年3月5日まで、E病院に通院した(通院実日数31日)。
(7) 損害のてん補(争いがない。)
原告は、本件事故に関し、被告の加入する自動車損害賠償責任保険から、33万7,450円の支払を受けた。
3 争点
(1) 本件事故の態様、責任原因及び過失割合
(2) 本件事故により原告に生じた損害
(3) 本件逮捕等の違法性
(4) 本件逮捕等により原告に生じた損害
4 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)(本件事故の態様、責任原因及び過失割合)について
(原告の主張)
ア 本件事故の態様
(ア) 原告は、B公園西側の路上に原告車を停車中、警察官から職務質問を受けたものの、これを断り、警察官とやり取りをした後、警察官に対し、「仕事で車を出さなければいけないので。」と述べて原告車を発進させた。これに対し、本件パトカーは、緊急走行で直ちに原告車を追跡した。
原告は、原告車を発進させ、時速約30~35キロメートルで約30メートル走行したところ、本件パトカーの車載マイクで「止まりなさい。」と呼びかけられたため、原告車にブレーキをかけた。
原告は、この際、ブレーキペダルを瞬時にいっぱい踏み込んだことはなく、道交法24条違反の急ブレーキに該当する動作をした意識もなかった。ただし、原告は、何も悪いことをしたわけではないにもかかわらず、職務質問を断っただけで、なぜ本件パトカーに緊急走行で追跡され停止命令を受けるのか合点が行かず、やや乱暴な止まり方をしたという意識はあった。
(イ) 被告の主張する本件事故の態様は、否認する。
イ 責任原因及び過失割合
(ア) 被告は、本件パトカーの保有者であり、自己のために本件パトカーを運行の用に供していた者であるから、自賠法3条に基づき、本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任を負う。
また、本件事故は、丙川巡査部長が、その職務を行うについて、前方注視義務違反の過失により生じさせたものであるから、被告は、国家賠償法1条1項に基づき、本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任を負う。
(イ) 責任原因及び過失割合に関する被告の主張は、争う。
原告は、実況見分に立ち会っておらず、本件事故現場に残されたとされるスリップ痕の測定結果には疑問がある。また、被告が主張する取調べの際の原告の供述は、原告が早く釈放されたくて取調べに適当に応じただけのものであって、他にも事実関係や経過を述べた供述調書はあるはずであり、それらが提出されない以上、上記の供述のみで原告が故意にブレーキを踏んだと認定することはできない。
(被告の主張)
ア 本件事故の態様
(ア) 原告の主張する本件事故の態様は、否認する。
(イ) 丙川巡査部長らは、原告について道路運送法違反(いわゆる白タク営業)の疑いがあったことから、職務質問を行ったところ、原告は、これに応じず、午後9時頃、無言で原告車を発進させて逃走した。
丙川巡査部長は、本件パトカーを運転して原告車を緊急走行で追跡申、助手席の戊田巡査長が車載マイクで原告車に停止を求めたにもかかわらず、原告が原告車の速度を時速約35キロメートルまで上げて逃走を続けたことから、引き離されないように本件パトカーの速度を上げたところ、原告は、突如、ブレーキをかけて原告車を急停止させた。
丙川巡査部長は、とっさに本件パトカーにブレーキをかけたが間に合わず、停止寸前に本件パトカーの前部バンパーが原告車の後部バンパーにわずかに接触した。
イ 責任原因及び過失割合
(ア) 責任原因及び過失割合に関する原告の主張は、争う。
(イ) 原告が、本件事故の発生直前に原告車のブレーキペダルを瞬時にいっぱい踏み込んだことは、本件事故現場の路面上に、長さ約5.65メートルと長さ約5.95メートルにも及ぶスリップ痕が印象されていたことから優に認められる。しかも、原告は、平成24年1月7日、C署警察官による取調べに対し、急ブレーキをかけた事実を認めた上、その理由について、「急ブレーキをかけた理由は、言うならば、おちょくってやろうという感覚でした。」などと供述している。
したがって、原告は、丙川巡査部長らから「止まりなさい。」と呼びかけられてブレーキを踏んだのではなく、本件パトカーが原告車の後方を追跡していることを明確に認識し、急ブレーキをかければ本件パトカーが原告車に追突する危険のあることを十分に認識しながら、丙川巡査部長らを挑発するため、故意に急ブレーキをかけて、本件事故を惹起したものである。
本件事故の発生直前において、原告車が停止の求めに従わずに逃走を続けていた状況からすれば、丙川巡査部長は、本件事故当時、原告車の突然の急ブレーキを予見し得ず、また、原告車の急ブレーキに瞬時に反応して本件パトカーにブレーキをかけても接触を回避し得なかった以上、丙川巡査部長には前方注視義務違反の過失はなく、本件事故の全責任は原告にあるというべきである。
(2) 争点(2)(本件事故により原告に生じた損害)について
(原告の主張)
原告は、本件事故により、頸椎捻挫等の傷害を負い、以下の損害を被った。
ア 治療費 2万0,510円
イ 通院交通費 5万5,800円
ウ 文書料 740円
エ 休業損害 22万8,000円
休業損害日額を5,700円として40日分である。なお、原告は、本件事故当時、飲食店に勤務し、従業員を車で送迎する仕事をしていたところ、原告車が原告に返還されたのは、原告の釈放後2週間以上経過してからであった。
オ 通院慰謝料 50万円
カ 人的損害小計 80万5,050円
キ 原告車修理費 9万3,535円
ク 人的損害・物的損害小計 89万8,585円
ケ 損益相殺後の残額(前記前提となる事実(7)の自賠責保険金33万7,450円を人的損害小計から控除した残額) 56万1,135円
(被告の主張)
ア 原告の主張する損害の発生は、いずれも否認ないし争う。
イ 原告は、本件事故により、頸椎捻挫等の傷害を負ったと主張する。
しかし、原告の主張する傷害は、いずれも原告の愁訴以外にこれを認めるに足りる客観的証拠は存在しない。しかも、本件事故は、停止寸前の本件パトカーの前部バンパーが急ブレーキで停止した原告車の後部バンパーにわずかに接触したものであり、原告車の後部バンパーには、注視しなければ見付けられないようなわずかな接触痕が認められたものの、凹損が全く生じていないのであるから、仮に、本件事故によって原告が振動を体感したことがあったとしても、それが極めて軽微であったことは明白である。
他方、原告は、本件事故の発生直前、路面上に長さ約5.65メートルと長さ約5.95メートルにも及ぶスリップ痕が印象されるほどの急ブレーキをかけて原告車を急停止させたのであるから、当該急ブレーキ自体によって原告が相当強い衝撃を受けたことは、明らかである。
したがって、仮に、原告の愁訴のみに基づく頸椎捻挫等が認められたとしても、当該傷害は、原告が原告車に急ブレーキをかけたこと自体によって生じたものと認めるのが自然かつ合理的であり、少なくとも、原告が本件事故によって平成24年3月5日までの長期間の加療を要するほどの頸椎捻挫等の傷害を負うことはない。
(3) 争点(3)(本件逮捕等の違法性)について
(原告の主張)
ア 本件逮捕に至る経緯は、以下のとおりである。
(ア) 原告は、B公園西側の路上に原告車を停車中、警察官から職務質問を受けたものの、これを断り、警察官とやり取りをした後、警察官に対し、「仕事で車を出さなければいけないので。」と述べて原告車を発進させた。これに対し、本件パトカーは、緊急走行で直ちに原告車を追跡し、本件事故が発生した。
(イ) 本件事故後、原告が本件事故に遭ったことを勤務先に連絡し、119番通報をしたところ、警察官らが原告車を囲んできた。原告が原告車のドアを開けたところ、原告が何の抵抗もしていないにもかかわらず、警察官2名は、運転席にいた原
告の腕を引っ張り、原告を路上に引きずり出して転倒させた。
また、警察官らは、路上にうずくまったまま両手で顔と身体の前を防御する体勢の原告に対し、首から喉付近を殴打したり、背中や腕を10回前後殴打したりしたほか、腰や足に対しても暴行を加えたが、蹴ったのか踏んだのかは定かでない。警察官らは、原告をパトカーに乗せるまで2分ほどの間、上記暴行を続けた。
なお、原告は、パトカーに乗車後も、現行犯逮捕である旨や被疑事実を告げられていない。
イ 本件逮捕及びその際の暴行は、以下のとおり、国家賠償法上違法なものである。
(ア) 逮捕の理由がないこと
本件逮捕の被疑事実は、道交法24条違反であるところ、被追突車に同条違反があった場合でも、被追突車の過失割合は通常は2割程度である上、本件逮捕をしたのは、追突した本件パトカーに乗っていた警察官であり、原告に停止を求めたのもその警察官であって、本件逮捕の時点で、原告が同条違反を犯したことが明白であると判断できた理由があるはずはない。したがって、本件逮捕に理由はない。
(イ) 逮捕の必要性がないこと
道交法24条違反は、交通取締法令違反事件であり、罪質の極めて軽微なものであって、その過失割合も上記のとおり軽微であるから、逮捕という人身の自由を拘束するような過酷な負担を課す必要性はない。また、原告は、警察官らの追跡を受け、停止命令を一度受けただけで原告車を停止させたものであり、逃亡しようとした事実は全くない。さらに、追突した当事者が警察官であることも考慮すると、罪証隠滅のおそれなど客観的にあり得ない。したがって、本件逮捕に必要性はない。
(ウ) 違法な暴行があること
上記のとおり、警察官らは、何ら抵抗していない原告に対して暴行を加えており、これは、特別公務員暴行陵虐罪に該当する違法行為である。
原告は、本件事故当日に受診したD病院において、右肩、頸部、腰部、背部などに打撲や圧痛があると診断されているところ、これらは追突事故だけでは通常生じないものであり、上記暴行を裏付けるものである。
(被告の主張)
ア 原告の主張する本件逮捕の違法性は、いずれも争う。
イ 本件逮捕に至る経緯は、以下のとおりである。
(ア) 丙川巡査部長らは、平成23年12月29日午後8時45分頃、本件パトカーに乗車して警ら活動に従事中、東京都<地番略>路上において、後方から進行してきた原告車が、クラクションを鳴らして本件パトカーを追い越して行くのを現認した。
この際、丙川巡査部長らは、原告車の屋根にタクシーの防犯灯のような部品が装備されているにもかかわらず、ナンバープレートが白色(自家用車用)であったことから、道路運送法違反(いわゆる白タク営業)の疑いがあると認め、原告車を追跡したところ、原告車は、約200メートル進行した後、B公園西側の路上において停止した。
(イ) 丙川巡査部長らは、原告車の右側に本件パトカーを停めて降車し、原告車の運転席にいた原告に対し、職務質問を開始して運転免許証の提示を求めると、原告が「関係ないだろ。」と述べて拒否したことから、無線機で応援を要請したところ、間もなく、丁山警部補ほか4名のC署警察官が同所に到着した。
丙川巡査部長らは、引き続き職務質問に応じるように原告を説得していたところ、原告が、午後9時頃、突然、無言で原告車を発進させて逃走したため、丙川巡査部長は、本件パトカーを運転して緊急走行で原告車の追跡を開始し、本件事故が発生した。
戊田巡査長は、本件事故後、直ちに本件パトカーを降車して、原告に対し、急ブレーキをかけた理由を質問したが、原告が返答しなかったため、更に、丁山警部補が、急ブレーキをかけた行為が道交法違反であることを説明して運転免許証の提示を求めたところ、原告は、原告車の運転席ドアを開け、「免許証を出す必要はないだろ。」と述べて提示を拒否した。
以上の状況から、午後9時03分頃、丁山警部補が、原告に対し、道路交通法違反事件の被疑者として逮捕する旨を告げ、戊田巡査長が原告の腕をつかんだところ、原告が「ふざけるな。」と怒鳴って抵抗したため、戊田巡査長は、原告を取り押さえ、手錠をかけて逮捕した。
ウ 本件逮捕等には、以下のとおり、国家賠償法上の違法性はない。
(ア) 捜査をめぐる国家賠償法1条1項の違法性の判断基準については、いわゆる職務行為基準説によるべきであり、現行犯逮捕は、当該現行犯逮捕の時点における証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により被疑者が現行犯人であると認められれば、国家賠償法上の違法性を欠くこととなり、逮捕者において現行犯逮捕の要件を充足すると判断したことが、当時の資料の下で常識上到底首肯し得ないほどの合理性を欠く重大な過誤が認められない限り、国家賠償法上違法と評価される余地はない。
したがって、本件逮捕の国家賠償法上の違法性の有無は、本件逮捕が刑事訴訟法212条1項所定の現行犯逮捕の要件を充足するか否かではなく、本件逮捕の時点における具体的な事実関係の下で、丙川巡査部長らが当該要件を充足すると判断したことに常識上到底首肯し得ないほどの合理性を欠く重大な過誤が認められるか否かという観点から判断されるべきである。
(イ) 犯罪と犯人の明白性
上記のとおり、原告は、丙川巡査部長らの職務質問を拒否した上、原告車を発進させて逃走したため、本件パトカーの追跡を受け、戊田巡査長から車載マイクで停止を求められたにもかかわらず、時速約35キロメートルまで速度を上げて逃走を続け、突如、ブレーキをかけて原告車を急停止させたのであり、丙川巡査部長らにおいて原告が道交法24条違反行為をしたことが明白であると判断したことに何ら不合理な点はない。なお、同条違反の成立は、交通事故の発生を要件としておらず、本件事故の過失割合のいかんによって同条違反行為が成立しないこととなるわけではない。
(ウ) 逮捕の必要性
そもそも、現行犯人は、犯罪を行ったことが極めて明白なことから、令状がなくても、これを逮捕できるとしたものであり、私人もこれを逮捕することができること(刑事訴訟法213条)などからすれば、現行犯逮捕については、逮捕の必要性の有無を問題にする余地はないというべきである。仮に、逮捕の必要性がその要件になると解するとしても、その必要性の程度は、逮捕状の請求を受けた裁判官が逮捕状を発付する場合の刑事訴訟規則143条の3に規定する「被疑者が逃亡するおそれがなく、かつ、罪証を隠滅するおそれがない等明らかに逮捕の必要がないと認めるとき」との消極的要件よりも緩やかに解すべきである。
本件において、道交法24条違反は、法定刑が3月以下の懲役又は5万円以下の罰金(同法119条1項1号の3)であり、道交法違反の中でも重い罰則が科されている上、刑事訴訟法217条により、「犯人の住居若しくは氏名が明らかでない場合又は犯人が逃亡するおそれがある場合に限り」現行犯逮捕が許される犯罪にも該当しないから、その罪質が軽微であるとはいえない。
加えて、上記のとおり、原告は、本件事故の発生前に、丙川巡査部長らの職務質問に対し、運転免許証の提示を拒否して逃走していたのであり、本件事故の発生後も、丁山警部補から運転免許証の提示を求められたにもかかわらず、これを拒否して住所及び氏名を明らかにしなかったのであるから、これらの事実のみをもっても、原告を逮捕する必要性が存在したことは明らかである。
したがって、丙川巡査部長らにおいて逮捕の必要性があると判断したことに何ら不合理な点はない。
(エ) C署警察官が暴行を加えた事実はないこと
上記のとおり、戊田巡査長が、原告の腕をつかみ、抵抗する原告を取り押さえ、手錠をかけた事実はあるものの、当該行為は、原告を現行犯逮捕するための必要最小限の有形力の行使に過ぎず、丙川巡査長らを含めたC署警察官が、原告に対し、原告の主張するような激しい暴行を加えた事実はない。
(4) 争点(4)(本件逮捕等により原告に生じた損害)について
(原告の主張)
原告は、本件逮捕及びその際の暴行によって精神的苦痛を被り、その慰謝料は100万円を下らない。
(被告の主張)
争う。
第三 当裁判所の判断
1 争点(1)(本件事故の態様、責任原因及び過失割合)について
(1) 認定事実等
ア 前記前提となる事実のほか、後掲各証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(ア) 丙川巡査部長は、平成23年12月29日午後8時45分頃、戊田巡査長を同乗させた本件パトカーを運転し、東京都<地番略>路上を警ら中、原告車が本件パトカーを追い抜いて行くのを現認した。
原告車は、黒色の普通乗用自動車(日産セドリック)で、屋根にタクシーの防犯灯のような部品が装備されていたが、ナンバープレートが事業用車の緑色ではなく、自家用車の白色であったため、丙川巡査部長らは、道路運送法違反(いわゆる白タク営業)の疑いがあると考え、原告車の追跡を開始した。(証人丙川三郎(以下「証人丙川」という。)、原告本人)
(イ) 原告車が、約200㍍進行した後、B公園西側の本件第1車線の左側端に停止したため、丙川巡査部長は、本件パトカーを原告車の右斜め前方に停め、戊田巡査長とともに降車して、原告車の運転席に座っていた原告に対し、声をかけ、原告車が自家用車であるにもかかわらずタクシー用の防犯灯を付けていることについて職務質問を行うとともに、運転免許証の提示を求めた。
これに対し、原告が、職務質問に応じることなく、また、運転免許証の提示を拒否し、原告車の窓を閉めて運転席のシートを倒して横になる姿勢を取ったため、丙川巡査部長らは、C署に応援を要請し、丁山警部補ほか4名の警察官の応援を得て、原告に対し、職務質問に応じるよう説得を続けた。しかし、原告は、職務質問に応じることなく、原告車の運転席のシートを元に戻し、午後9時頃、原告車をゆっくりと発進させ、本件第2車線に進路を変更して進行を開始した。
丙川巡査部長は、戊田巡査長とともに直ちに本件パトカーに乗車し、原告車を緊急走行(赤色灯点滅、サイレン吹鳴)で追跡し、丁山警部補ら他のC署警察官も、本件パトカーに続いて原告車を追跡した。(証人丙川、原告本人)
(ウ) 本件パトカーの助手席に乗車していた戊田巡査長は、追跡中、原告に対し、車載マイクを使用して停止を求めたものの、原告車は、停止せずに上記(イ)の停止地点から90メートル以上にわたり低速での走行を続けた。この間、本件パトカーは、原告車に追い付き、車間距離が約10メートルとなったが、原告車が徐々に時速約30~35キロメートルまで速度を上げたため、本件パトカーも同様に速度を上げた。
原告は、その直後、原告車に急ブレーキをかけ、原告車を本件第2車線上に急停止させた。これに対し、丙川巡査部長は、本件パトカーの前方約11.5メートルの地点で原告車が急停止したのを発見し、とっさに本件パトカーにブレーキをかけたが間に合わず、停止寸前に本件パトカーの前部バンパーが原告車の後部バンパーにわずかに接触した。(証人丙川、原告本人)
(エ) 本件事故直後、本件第2車線の路面上には、停止した原告車の前輪の位置から後輪の後方まで長さ約5.65メートル及び長さ約5.95メートルの2筋のスリップ痕が印象されており、本件パトカーの後方の路面上には、スリップ痕は印象されていなかった。
また、本件事故後、原告車の後部バンパーに擦過痕が認められたほか、本件パトカーの前部バンパー(赤色灯台座及びラジエーターグリル中央のエンブレム)に擦過痕が認められた。
なお、本件事故当時、原告車にはアンチロックブレーキシステムが搭載されておらず、本件パトカーにはこれが搭載されていた。(証人丙川)
イ 以上の認定に対し、原告は、停止に際し、原告車のブレーキペダルを瞬時にいっぱい踏み込んだことはなく、道交法24条違反の急ブレーキに該当する動作をした意識もなかったと主張するとともに、本件事故現場に残されたスリップ痕の測定結果に疑問を呈する。
しかし、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、原告車のスリップ痕は、C署警察官が、本件事故直後である平成23年12月29日午後9時10分頃から午後9時35分頃まで及び午後11時40分頃から午後11時55分頃までの間、本件パトカーが原告車に追突して停止した状態であったところを実況見分した際に確認され、その翌日に計測されたものであることが認められ、原告の立会いがなかったことを考慮しても、その存在及びその測定結果に疑義があるとは認められない。
そして、一般に、アンチロックブレーキシステムを措載していない四輪車が急ブレーキをかけた場合にはタイヤがロックしてスリップ痕を生じることがあるところ、上記認定事実のとおり、本件事故当時、原告車にはこれが搭載されていなかったことも考慮すると、原告は、本件事故直前、原告車に急ブレーキをかけて原告車を急停止させたものと認めるのが相当である。
したがって、原告の上記主張は、採用の限りでない。
(2) 責任原因
ア 自賠法3条について
(ア) 前記前提となる事実(4)によれば、被告は、本件事故当時、本件パトカーを保有し、自己のために本件パトカーを運行の用に供していたものであるから、本件事故について、自賠法3条本文の要件を充足しているものと認められる。
これに対し、被告は、原告車の急停止は故意によるものであり、丙川巡査部長に過失はないから、被告に責任はない旨主張しており、同条ただし書の免責事由を主張するものと解される。
そして、本件事故については、同条ただし書にいう「自己」「が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと」及び「自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかったこと」の要件は充足されているものと認められるから、その余の要件である「運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと」及び「被害者」「に故意又は過失があったこと」の充足の有無について以下検討する。
(イ) 前記(1)で認定した本件事故の態様を前提とすると、原告は、原告車を運転して本件第2車線を直進進行中、後方の本件パトカーから緊急走行で追跡を受け、車載マイクで停止を求められていたのであるから、道路の左端に寄って、これに進路を譲らなければならない注意義務(道交法40条2項)を負っていたにもかかわらず、これを怠った上、さらに、危険を防止するためやむを得ない場合を除き、車両を急に停止させ、又はその速度を急激に減ずることとなるような急ブレーキをかけてはならない注意義務(同法24条)を負っていたにもかかわらず、これを怠り、原告車に急ブレーキをかけてこれを急に停止させたことが認められる。
そして、原告自身、やや乱暴な止まり方をしたという意識はあったと主張しているほか〔前記第二の4(1)(原告の主張)参照〕、平成24年1月7日にC署の警察官から取調べを受けた際、急ブレーキをかけた理由について、「言うならば、おちょくってやろうという感覚でした。でもまさか追突するとは思っていませんでした。」と供述していること(原告本人)も考慮すると、原告には、危険を防止するためやむを得ない場合ではないにもかかわらず、道交法24条に違反して原告車に急ブレーキをかけたことについて、故意があったことが推認される。
なお、原告は、本件訴訟において、上記故意を否認し、本件第1車線には駐停車車両があったため、左側端に寄って停止することができなかったと供述する(原告本人)。しかし、前記前提となる事実(3)アのとおり、本件第1車線の幅員は約5.0メートルであり、仮に、本件第1車線の左側寄り部分に駐停車車両があったとしても、その右側の本件第1車線内には車両が進行する幅員の余裕が残されており、原告車が本件第1車線に進入し、緩やかに減速した上で停止することは十分可能であったと認められる。したがって、この点に関する原告の主張及び供述は、採用の限りでない。
したがって、本件事故については、自賠法3条ただし書の「被害者」「に故意又は過失があったこと」の要件が充足されていることが認められる。
(ウ) 他方、前記(1)で認定した本件事故の態様を前提とすると、丙川巡査部長は、原告が職務質問に応じないまま原告車を発進させて本件第2車線を走行し始めたため、原告車を追跡すべく、緊急走行で本件パトカーを運転して原告車に続いて直進進行中、原告車が、本件パトカーの車載マイクによる停止の求めにも応じずに低速での走行を続け、本件パトカーが原告車の後方約10メートルまで接近した後、時速約30~35キロメートルまで徐々に速度を上げ、そのまま加速して逃走するかのような態度を示したため、本件パトカーの速度を同様に上げた直後、原告車が突如として急停止をし
た結果、本件パトカーが原告車に追突するに至ったというものである。
原告が本件パトカーの車載マイクによる停止の求めに応じて原告車を停止させるのであれば、本件第1車線には原告車が緩やかに減速した上で停止することのできる幅員の余裕が残されていたのであるから、そもそも原告車が本件第2車線上で急停止措置を講じなければならない事態に陥る蓋然性は乏しい状況にあったことも併せ考慮すると、本件パトカーを運転していた巡査部長において、原告車が速度を上げて逃走するかのような態度を示した直後に急停止の措置を講じるといった特異な事態が生じることを予見することは困難であったというべきである。
次に、丙川巡査部長による運転の態様についてみると、本件パトカーは、車載マイクによる停止に応じないまま低速で走行を続ける原告車を追尾し、その後方約10メートルまで接近しているが、その時点においては、原告車は低速で走行していたのであるから、丙川巡査部長は、本件パトカーと原告車との間に一定の車間距離を保持していたと認められる。
その後、本件パトカーは原告車に追突するに至っているが、それに至る経緯をみると、原告車は、本件パトカーが原告車の後方約10メートルに接近した状況の下で時速約30~35キロメートルまで徐々に速度を上げ、そのまま加速して逃走するかのような態度を示したのであるから、丙川巡査部長がこれに対応して本件パトカーを加速させたことは、職務の遂行上、やむを得ず、また、必要な行為でもあり、その結果として、その直後に一時的に本件パトカーと原告車との車間距離が狭まるという事態が生じたことをもって、「運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと」を否定するのは相当でない。また、本件パトカーは、原告車の急停止措置に伴い原告車に追突したとはいえ、両車の損傷がわずかであることから、丙川巡査部長は、原告により故意にもたらされた特異な事態に対してさえ、一定の事故回避措置をとることができていたというべきである。そうすると、本件の具体的な状況の下においては、丙川巡査部長は、原告車を追尾し、本件パトカーを緊急走行させるに当たり、原告車との間に最低限の車間距離を保持し、また、原告車に対する前方注視等の安全運転義務(道交法70条)を履行していたと評価するのが相当である。
したがって、本件事故については、自賠法3条ただし書の「運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと」の要件が充足されているものと認められる。
(エ) 以上によれば、被告には、本件事故について、自賠法3条ただし書の免責事由が認められるから、被告は、原告に対し、同条に基づく損害賠償責任を負わないものというべきである。
イ 国家賠償法1条1項について
上記アの認定、判断を前提とすると、上記ア(ウ)のとおり、本件パトカーを運転していた丙川巡査部長には、本件事故の発生に関し、過失が認められないから、被告は、原告に対し、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負わないものというべきである。
(3) まとめ
以上によれば、原告の被告に対する本件事故に係る損害賠償請求は、争点(2)について検討するまでもなく、理由がない。
2 争点(3)(本件逮捕等の違法性)について (1) 認定事実等
ア 前記前提となる事実、前記1の認定事実のほか、後掲各証拠(ただし、後記認定に反する部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(ア) 本件事故後、戊田巡査長は、本件パトカーを降車して原告車の運転席側に駆け寄り、丙川巡査部長は、直ちにC署に無線で一報した後、本件パトカーを降車して原告車に駆け寄り、丁山警部補ら他のC署警察官も、相次いでパトカーを降車して原告車に駆け寄った。
(イ) 戊田巡査長は、原告に対し、急ブレーキをかけた理由を質問したものの、原告は、これに答えず、続いて、丁山警部補は、原告に対し、運転免許証の提示を求めたものの、原告は、これにも応じず、原告車の運転席ドアを開けて右足を車外に出した。
(ウ) 丁山警部補は、午後9時03分、原告に対して道交法違反で逮捕する旨告げ、戊田巡査長が原告の右腕をつかんで手錠を掛けようとしたところ、原告がこれを振り払って抵抗したため、戊田巡査長は、原告の右腕を取って路上の方にいったん引きずり出したところ、原告がなおも抵抗するため、路上に倒して腹ばいにして制圧し、その後あおむけにして両手錠を掛けた。((ア)~(ウ)につき、証人丙川、原告本人)
(エ) 原告は、本件事故当日の午後11時50分頃、逮捕後の取調べ中にD病院を受診し、右肩、頸部及び腰部の痛みを訴え、頸部及び背部に圧痛が見られたものの、レントゲン検査上、骨折は認められなかった。D病院の己川六郎医師は、原告について、平成24年1月4日付けで、病名を頸部・腰部打撲傷とし、約1週間で完治の見込みとする診断書を作成した。
原告は、同月11日、勾留中にD病院を再度受診し、夜眠れない、頸部が痛むと訴えた。原告は、同日、不眠症及び頸部神経痛との診断を受けた。
原告は、釈放後の同月19日、E病院を受診し、本件事故により右項頸部と胸腰椎部から腰部にかけて痛みがあると訴えたが、原告の頸部及び腰部には可動域制限はなく、圧痛やしびれもなかった。原告は、同日から平成24年3月5日まで、E病院を継続して受診し、理学療法を受けた。
イ 以上の認定に対し、原告は、原告車のドアを開けたところ、原告が何の抵抗もしていないにもかかわらず、警察官2名が運転席にいた原告の腕を引っ張り、原告を路上に引きずり出して転倒させ、路上にうずくまったまま両手で顔と身体の前を防御する体勢の原告に対し、背中や腕を10回前後殴打したほか、腰や足に対しても踏むか蹴るかの暴行を加え、原告を本件パトカーに乗せるまで2分ほど上記暴行を続けたと主張する。
しかし、前記1(1)ア及び2(1)アで認定した事実によれば、原告は、本件逮捕前、C署警察官らによる職務質問や運転免許証提示の求めに応じず、いったんは原告車を運転して現場を離れ、本件パトカーによる追跡や停止の求めにもかかわらず原告車を進行させ続けた上、原告車を急停止させて本件事故を発生させた後も、なお、職務質問及び運転免許証提示の求めに応じなかったのであるから、原告車から降車した際、原告の腕をつかんだ警察官を振り払おうとした行為は、抵抗行為の一環であると見るのが相当である。そして、仮に、原告が主張するような激しい暴行が加えられたのであれば、暴行が加えられた部位にはあざや擦過傷など何らかの痕跡が残るものと考えられるが、原告には、本件事故後、そのような痕跡があったとは認められない上、原告は、身柄拘束中に受診したD病院はもとより、釈放後に受診したE病院においても、暴行の事実を申告した形跡が認められない。また、仮に、原告の右肩や背部の痛みが本件事故のみでは生じないものであったとしても、本件逮捕に伴う制圧行為によって生じたものと認める余地が十分にあり、右肩や背部の痛みがあるというだけでは、原告が主張するような暴行があったと認めることは困難である(なお、本件逮捕に伴う制圧行為の当否は、後記(2)イにおいて検討する。)。
したがって、原告の上記主張は、採用の限りではない。
(2) 検討
ア 本件逮捕の理由及び必要性について
(ア) 本件逮捕が国家賠償法1条1項の違法性を有するかについては、本件逮捕時において刑事訴訟法213条の現行犯逮捕の要件が欠如していることが明らかであるにもかかわらず、あえて原告を逮捕したと認められるような事情がある場合に限り、本件逮捕が違法性を有するものと解するべきである。
(イ) 前記1の認定、判断によれば、原告は、原告車を運転して本件第2車線を走行中、道交法24条に違反して原告車に故意に急ブレーキをかけたものであり、同条違反に罰則規定(同法29条1項1号の3の規定により3月以下の懲役又は5万円以下の罰金)が設けられていることを考慮すると、原告は、本件逮捕時において、刑事訴訟法212条1項にいう「現に罪を行い、又は現に罪を行い終わった者」に該当するものと認められ、本件逮捕には理由がある。
これに対し、原告は、本件逮捕の被疑事実は道交法24条違反であるところ、被追突車に同条違反があった場合でも、被追突車の過失割合は通常は2割程度である上、本件逮捕をしたのは追突した本件パトカーに乗っていた警察官であり、原告に停止を求めたのもその警察官であって、本件逮捕の時点で、原告が同条違反を犯したことが明白であると判断できた理由があるはずはないとして、本件逮捕には理由がないと主張する。
しかし、道交法24条は、明文上、交通事故の発生や過失割合を要件としておらず、過失の程度が起訴するか否かの判断の際に斟酌されるかどうかはともかくとしても、それが刑事訴訟法212条1項の現行犯人性を左右するものではないと解するのが相当であり、原告の上記主張は採用することができない。
(ウ) 現行犯逮捕については、刑事訴訟法及び刑事訴訟規則上、逮捕の必要性を要件とする旨の明文の規定はないものの、現行犯逮捕が人の身体の自由を拘束する強制処分であり、かつ、令状主義の例外であることからすると、現行犯人性さえ認められれば無制限に逮捕することができると解するのは相当でなく、逮捕の必要性がある場合に限り、現行犯逮捕をすることが許されるものと解するのが相当である。
そこで検討するに、前記1(1)ア及び2(1)アで認定した事実によれば、①原告は、本件事故前、道路運送法違反の疑いで、丙川巡査部長らC署警察官から職務質問を受け、運転免許証の提示を求められたにもかかわらず、これを拒否したまま、原告車を運転して現場を離れ、さらに、本件パトカーが緊急走行でこれを追跡し、原告車に停止を求めたにもかかわらず、原告車を直ちに停止させなかったこと、②原告は、本件パトカーが原告車に追い付いた際、いったん原告車を加速させて逃亡するかのような態度を示した直後に原告車を急停止させて、本件事故を発生させたこと、③原告は、本件事故後も、戊田巡査長らの職務質問や運転免許証提示の求めに応じることはなかったことが認められる。このような事実経過の下では、原告には、少なくとも逃亡のおそれ(被疑者が、逮捕の場所から逃走することだけでなく、捜査機関にとって所在不明となること等のおそれも含まれると解される。)がないとはいえないのであって、逮捕の必要性はあったと認めるのが相当である。
原告は、道交法24条違反が交通取締法令違反事件であり、罪質の極めて軽微なものであって、逮捕という過酷な負担を課す必要性はない上、原告は、警察官らの追跡を受け、停止命令を一度受けただけで原告車を停止させたものであり、逃亡しようとした事実は全くなく、さらに、追突した当事者が警察官であることも考慮すると、罪証隠滅のおそれなど客観的にあり得ないから、本件逮捕に必要性はないと主張する。しかし、本件逮捕時に原告について逃亡のおそれがなかったとはいえないことは上記認定のとおりであって、原告の主張する上記事情は、原告に対する逮捕の必要性を否定するには足りない。したがって、原告の主張は、上記認定、判断を左右するに足りるものではない。
イ 本件逮捕における有形力の行使について
現行犯逮捕をしようとする際に現行犯人から抵抗を受けた場合には、逮捕をしようとする者は、警察官であると私人であるとを問わず、その際の状況からみて社会通念上逮捕のため必要かつ相当と認められる限度内の有形力の行使は許されているものと解されるところ、前記(1)アで認定したC署警察官らの有形力の行使については、それに至る一連の経緯にかんがみれば、現行犯逮捕のための有形力の行使として必要かつ相当な限度を超えていたとまでは認められない。
これに対し、原告は、警察官らが、何ら抵抗していない原告に対して暴行を加えており、これは、特別公務員暴行陵虐罪に該当する違法行為であると主張する。しかし、前記(1)アの認定事実によれば、原告は、本件逮捕に際し、右腕をつかんだ戊田巡査長を振り払おうとして抵抗し、その後も抵抗していたことが認められ、C署警察官らが、原告に対し、逮捕行為の一環である有形力の行使以外に暴行を加えた事実を認めることはできない。したがって、この点に関する原告の主張は、採用の限りでない。
(3) まとめ
以上によれば、本件逮捕は、現行犯逮捕の要件を具備したものであり、その際のC署警察官らによる有形力の行使も、現行犯逮捕のための有形力の行使として必要かつ相当な限度を超えていたとは認められないから、本件逮捕及びその際のC署警察官らによる有形力の行使は、いずれも、国家賠償法1条1項の違法性を欠くというべきである。
したがって、原告の被告に対する本件逮捕等に係る損害賠償請求は、争点(4)について検討するまでもなく、理由がない。
第四 結論
よって、原告の請求は、いずれも理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所
裁判長裁判官 三木素子
裁判官 松本 真
裁判官 古市文孝