タクシーに客として同乗中、氏名不詳者に追突されて受傷したとする事案
【判決の要旨】
①被告タクシーに客として同乗中、氏名不詳者に追突されて受傷したとする事案につき、氏名不詳者の住所氏名を確認しなかったことが被告タクシーの債務不履行、不法行為に当たらないとされた事例。
広島地裁 平成2年6月25日判決
事件番号 昭和63年(ワ)第1463号
<出典> 自保ジャーナル・判例レポート第90号-No.2
判 決
原告 清水正一
被告 有限会社Sタクシー
主 文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
(以下略)
事実及び理由
第一 請求
一 主位的請求
被告は原告に対し300万6,190円を支払え。
二 予備的請求
被告は原告に対し100万円を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が、被告の従業員の運転するタクシーに客として乗車中、同車が氏名不詳者運転の車両に追突され、外傷性頸椎症、外傷性腰痛症、左下腿打撲の傷害を受けたことを理由に、被告に対し、主位的に運送契約上の債務不履行責任又は不法行為責任(使用者責任)に基づく損害賠償を請求し、予備的に原・被告間で被告が原告の被った損害のうち100万円を支払う旨の損害填補契約が成立したとして、その履行を求めている事案である。
一 争いのない事実
1 原告は、昭和63年7月8日、被告との間で、原告の肩書住居地から広島市安佐北区役所高陽出張所までの間のタクシー運送契約(以下「本件運送契約」という。)を締結し、被告の従業員である清政博(以下「清政」という)が右運送業務に従事した。
2 清政の運転する原告の乗車したタクシー(以下「本件車両」という。)は、同日午後1時20分ころ、東広島市八本松町米満144番地東広島流通センター先路上において、氏名不詳者(以下「加害者」という。)の運転する車両(以下「加害車両」という。)に追突された(以下「本件事故」という)。
3 しかし、清政は、本件事故直後、加害者の氏名・住所、加害車両のナンバーなどの確認をしなかった(なお、証人清政の証言によれば、清政は、同日夜、原告から入院した旨の連絡を受けた被告関係者の指示に基づき、所轄警察署に本件事故発生の届出をしたことが認められる。)。
二 争点
本件の主たる争点は、次のとおりである。
1 主位的請求について
(一) 債務不履行責任
被告ないしその履行補助者である清政が、本件運送契約上、加害者の氏名・住所、加害車両のナンバーなどを確認すべき義務(以下「確認義務」ということもある。)
を負っていたか。
(二) 不法行為責任
被告の従業員である清政が自動車運転者として確認義務を負っていたか。
(三) 本件事故と原告の受傷との間に因果関係が認められるか。
2 予備的請求について
原・被告間で、昭和63年10月6日ころ、被告が本件事故により原告の被った損害のうち100万円を支払う旨の合意(以下「本件填補契約」という。)が成立した
か。
第三 争点に対する判断
一 主位的請求について
1 証拠(略)によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件事故は、本件事故現場付近で赤信号のため停車中の本件車両が加害車両に追突される事故であった。本件事故により、加害車両のウィンカーのカバーなど
が破損したが、他方、本件車両については、バンパーなどに顕著な凹損等の損傷はなく、右追突の態様・程度は、比較的軽微なものであった。
(二) 清政は、本件事故直後、現場で両車両の損傷の有無などを確認したのち、後続車の交通の支障などを避けるため、事故現場付近の幅員の広い場所に車両を移動
した。清政は、同所で、加害者とともに、さらに本件車両の被害状況の有無などを確認したものの、前記のとおり、本件車両には顕著な損傷が認められなかったこと、そ
のころ、原告に対し身体の異常の有無などを尋ねたところ、原告から特に異常を訴えられることはなかったこと、また、清政自身も身体に異常がなく、さらに、本件事故
が加害者から追突される事故であったため、警察へ事故届出をするまでもないと考え、加害者の氏名・住所、加害車のナンバーなども確認しなかった。
(三) 原告は、同日午後2時20分ころ、広島市安佐北区役所高陽出張所で本件車両を降車し、その後、同出張所において書類提出の手続などをしているうちに頭痛
を覚え、同日夜、西条中央病院に入院した。原告は、入院時、頭痛・頸部痛・腰痛を訴え、同病院では、原告の症状を外傷性頸椎症・外傷性腰痛症・左下腿打撲と診断し
た。なお、同日ころ実施された原告の頸椎及び腰椎のレントゲン検査では、特に異常は認められなかった。
(四) 現時点において本件事故の加害者・加害車両を探知・特定することは事実上困難である。
2 債務不履行責任
清政が本件事故の加害者の確認をしなかったこと、原告が、本件車両を降車してから間もなく、身体の不調を覚え、同日夜入院し、外傷性頸椎症などと診断されたこと
は、前記のとおりである。
しかし、仮に、本件事故と原告の右受傷との因果関係が認められるとしても、本件において、被告(ないし履行補助者である清政)が、本件運送契約上、加害者の確認
義務を負っていたとまではいえない(なお、本件事故発生の態様・形態に照らすと、本件事故発生自体について被告の本件運送契約上の債務不履行又は清政の不法行為上
の過失を認めるには不十分である。また、前認定の事実に照らすと、清政が故意に加害者を逃走させたとまでは認めることができない。)。
すなわち、タクシー会社等の一般乗用旅客自動車運送事業を営む者は、一般に運送契約上乗客を安全に目的地まで運送する義務を負うところ、乗客の乗車中の車両に交
通事故が発生したものの、事故発生自体について運送契約上の債務不履行責任又は不法行為責任を認めることができない場合であっても、具体的な事故発生の状況・態
様・程度、乗客の受傷の内容・程度によっては、乗客の加害者に対する損害賠償請求権の保全・確保などのため、加害者の氏名・住所、加害車のナンバーなどの確認義務
を負うこともあると解するのが相当である。
しかし、これを本件についてみると、前認定のとおり、本件事故は、停車中の本件車両への加害車からの追突事故であり、しかも、本件車両には顕著な損傷が認められ
ないなど、事故の態様・程度も比較的軽微であったこと、清政は、本件事故現場で原告から特に身体の異常を訴えられることがなかったことに照らすと、このような場合
にまで、被告(ないし履行補助者である清政)が加害者の確認義務を負っていたと解する余地はない。
3 不法行為責任
既に認定した事実及び説示した点に照らすと、本件において、清政が故意に加害者を逃走させたということはできないし、また、清政が自動車運転者として加害者を確
認すべき注意義務を負っていたとまではいえない。
二 予備的請求について
1(一) 証拠(略)によれば、被告代表者は、昭和63年10月6日前後ころの午前中に原告を見舞った際、現金100万円を持参し、原告に対し、右100万円
の受領を申入れたこと(以下「本件申入れ」という)が認められる。
(二) もっとも、右各証拠によれば、次の事実も認められる。
(1) 本件申入れの趣旨は、原告の自己負担分の治療費・入院費の支払に充てるほか、原告が10年来の被告の顧客であったことや今後の交渉を円滑に進めること
もあった(被告代表者の供述中には、本件事故に関し損害保険金の支払いがなされることを前提に、その前払金の趣旨で本件申入れをしたとする部分もある。)。
(2) 他方、原告は、同日午後1時から被告の事故処理係の関係者らとの間で、
本件事故処理に関する交渉が行われる予定であったため、被告代表者に対し、同交渉
で100万円受領の問題も含め解決したい旨申入れ、その場では100万円を受領し
なかった。
(3) 原告は、同日午後1時ころから行われた右交渉において、午前中に被告
代表者から本件申入れがなされた旨を話したところ、原・被告双方の関係者(但し、
被告代表者は同席しなかった。)から、被告代表者の行動が同関係者の行っている交
渉手続を軽視ないし無視するものであるとして反発を受けたりしたため、結局、原告
において本件申入れを受入れるとの意思表示などをすることなく、同日の交渉は事実
上決裂した。
(4) その後、原告は、被告代表者ほか被告関係者に対し、本訴提起をした昭和63年12月28日(提訴年月日は本件記録上明らかである。)に至るまでの間、
本件申入れに基づく100万円を受領する旨の意思表示をすることはなかった。
2 右各事実によれば、本件申入れ自体、被告が本件事故により原告の被った損害のうち100万円を填補する旨の明確な申込みと認めるには不十分であること、ま
た、原告は、本件申入れに対し、その日の午後予定されていた前記交渉で解決したい旨を申入れたものの、同交渉が事実上決裂したことに照らすと、仮に、本件申入れが
本件填補契約の申込みであり、かつ本件申入れが対話者間の申込みであるものの、被告がその承諾の意思表示を同日午後1時から行われた右交渉まで留保したと認める余
地があるとしても、右承諾の意思表示をすることなく同交渉が決裂した時点で、本件申入れ(申込み)は、その効力を失ったものと解するのが相当である。
第四 結論
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がない。
広島地方裁判所民事第一部
裁判官 土屋靖之