【判決の要旨】
自動二輪車が、酒気帯び運転かつ赤信号無視、ヘルメット不装着で交差点に進入して四輪自動車と衝突した事案について、加害者の過失が小さく、逆に被害者の過失が極めて大きい場合にあたるため、被害者の過失10割と判断するのもやむを得ないとした(保険会社に対する自賠責保険金請求事案)。
大阪地裁 平成20年9月25日判決
事件番号 平成20年(ワ)第1074号 保険金請求事件
平成20年(ワ)第8078号 仮渡金返還請求事件
<出典> 交民集41巻5号1298頁
【主 文】
1 原告甲野太郎及び同乙山松子は、被告に対し、連帯して金290万円及びこれに対する平成20年6月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らの本訴請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、原告らの負担とする。
【事実及び理由】
第1 請求
1 本訴
(1) 被告は、原告甲野太郎に対し、金750万円及びこれに対する平成18年5月23日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
(2) 被告は、原告乙山松子に対し、金750万円及びこれに対する平成18年5月23日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2 反訴
主文第1項(平成20年6月28日は反訴状送達日の翌日)と同旨
第2 事案の概要
1 本件は、甲野次郎(昭和54年8月28日生まれ。以下「次郎」という。)が後記2(1)記載の交通事故によって死亡した事案につき、次郎の相続人(両親)である原告両名が自賠責保険会社である被告に対して自賠責保険金の支払を求めて本訴を提起したところ、被告は、自賠責保険金の支払義務を否定すると共に、既に支払っていた仮渡金の返還(不当利得返還)を求めて反訴提起した事案である。
2 前提となる事実(特に認定事実の末尾に証拠を引用していないものは、当事者間に争いのない事実である。)
(1) 次の内容の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
ア 日時 平成18年2月11日午後9時50分ころ
イ 場所 大阪市住之江区中加賀屋1丁目1番12号先交差点(以下「本件交差点」という。)
ウ 加害車 丙原春男(以下「丙原」という。)保有・運転の普通乗用自動車
(〔ナンバー略〕)
エ 被害車 次郎運転の原動機付自転車(〔ナンバー略〕)
オ 態様 信号機により交通整理が行われている本件交差点において、青色信号表示に従って時速約50キロメートルで一番右側の車線を東から西に向かって直進していた丙原運転車両と、交差道路を赤色信号表示を無視して北から南に向かって直進進行した次郎運転車両が出合い頭に衝突したもの
カ 結果 次郎は、本件事故によって全身打撲等の傷害を負い、同日午後10時47分ころ、上記傷害に起因する脳挫傷により死亡した。
(2) 次郎は、本件事故当時、運転免許が失効していた(甲15の12ページ参照)上、ヘルメットを装着していなかった(甲14の2ページ、20の7ページ)。
また、本件事故現場の路面から採取された次郎の血液を鑑定したところ、血液1ミリリットル中0.7ミリグラムのアルコールが検出された(甲17)。
(3) 丙原は、平成18年12月21日に業務上過失致死罪で起訴され、平成19年1月29日、大阪簡易裁判所において罰金10万円の略式命令を受けた。
(4) 被告は、平成19年2月7日、原告らに対し、自賠責保険金の仮渡金290万円を支払った(なお、支払は、原告両名の代理人である甲野一郎の指定口座に振り込む方法により行った。)。
3 争点
(1) 丙原は自賠法3条所定の損害賠償責任を負うのか否か(本訴関係)。
ア 原告らの主張
(ア) 丙原は、上記加害車の保有者であるから、自賠法3条の責任を負うと言わなければならない。
(イ) 本件事故については、赤信号を無視して本件交差点に進入した次郎に重大な過失があることは否定できないが、丙原にも過失(前方左右を注視し、本件交差点の交通の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、遠方の信号表示に気をとられ、漫然と時速約50キロメートルで進行した過失)があることは明らかである。すなわち、丙原は、前方左右を注視し、本件交差点の交通の安全を確認しつつ進行していれば、次郎運転車両を急制動による回避可能な地点で発見し、急制動により本件事故発生を回避できたのに、必要な注意を怠ったまま時速約50キロメートルで進行したことにより、次郎運転車両の発見が遅れ、急制動をかけることもないまま同車両に衝突してしまったものである。
この過失が存することについては、丙原自身も自認しているところであるし、業務上過失致死罪で起訴された刑事判決が有罪で確定していることからも明らかである。
(ウ) 交差点における単車と四輪車間の直進車同士の出合い頭衝突事故の過失割合については、単車側の信号が赤信号、四輪車側の信号が青信号の場合の基本過失割合が100対0とされてはいるものの、四輪車側に何らかの過失(通常の前方左右に対する安全不確認もしくは発見後の回避措置懈怠を意味する。)がある場合には、その過失割合は90対10と修正されていて、本件はまさに修正要素が該当する事案である。本件事故の過失割合は、少なくとも次郎が90%、丙原が10%と判断すべきである。
イ 被告の主張
(ア) 丙原運転車両には、構造上の欠陥及び機能の障害はなかったし、同車両の構造上の欠陥又は機能の障害の存否と本件事故発生とは関係がない。
そして、本件事故は、後述するように次郎の一方的な過失によって生じたものであり、丙原には過失がなかったものである。
したがって、丙原は、自賠法三条但書により免責され、保有者責任を負わない。
(イ) 一般に、自動車運転者には信号を無視して進行してくる車両のあることまで予見して走行する注意義務はない。特に、丙原が走行していた道路の中央分離帯には植栽があり、右方への見通しは悪く視界が妨げられる状況にあったこと、事故発生が夜間であったこと、双方の道路幅員の差等を考えれば、対面青信号に従って制限速度内で走行中の丙原には右方から赤信号を無視して突然進入してくる車両の存在まで予見すべき注意義務はないと言うべきである。
また、上記のような本件事故現場の道路状況等に鑑みれば、次郎運転車両を発見し得た時点では丙原には事故回避の余地がなく、結果回避可能性もなかった。
(ウ) 本件事故当時、次郎は、無免許であり、しかも血液1ミリリットル中0.70ミリグラムものアルコールが検出されるほどのアルコール量を摂取していた。さらに、次郎はヘルメットを着用していなかった。
これらの諸事情を勘案すれば、基本過失割合に修正を加えても、次郎が100、丙原が0の過失割合は動かし難い。
(エ) なお、原告らは丙原が略式命令で罰金10万円の刑事処分を受けていることを強調するが、当該処分の根拠となったと思われる実況見分の内容や見分結果に合理性・信用性がないから、原告らの主張は理由がない。
(2) 自賠法16条の3に基づき定められた「自動車損害賠償責任保険の保険金等及び自動車損害賠償責任共済の共済金等の支払基準(平成13年金融庁・国土交通省告示第1号)」(以下「支払基準」という。)に従った保険金の支払を裁判所が命じることの可否(本訴関係)
ア 原告らの主張
(ア) 次郎が本件事故によって被った損害額(逸失利益、死亡慰謝料、葬儀費用)及び原告両名固有の慰謝料を合計すると、自賠法施行令2条で規定されている保険金額の上限3,000万円を優に超える。そして、前記(1)ア記載のとおり、次郎の過失割合は1割とみるべきであるから、支払基準に従って、自賠責保険金額3,000万円から5割減額した1,500万円が原告両名に対して支払われるべきである。
(イ) 被告は、後記イ(ア)記載のとおり、最高裁判所平成18年3月30日第1小法廷判決を挙げて、本件においては支払基準は適用されない旨主張する。
しかしながら、被告の上記主張を認めれば、支払基準による保険金の支払額が訴訟において過失割合に即して算定される額を上回ることが予想される事案について、自賠責保険会社による支払拒絶を誘発する結果となる。特に、本件のように、被害者側の過失が9割以上とされるような被害者側に著しい過失がある事案の場合、過失割合に即して算定される賠償額は保険金額の5割を下回ることがほとんどであるから、保険会社としては任意の支払を拒絶し、訴訟を提起させるのが得策ということになるが、そのような事態は自賠法や支払基準の予定するところではない。
したがって、上記最高裁判決も、自賠責保険会社の不当な支払拒絶を助長する趣旨で解釈すべきでない。上記最高裁判決は、①あくまでも保険会社が支払基準に従った支払を行ったにもかかわらず、被害者が更に差額を請求する場合、②あるいは、保険会社が支払基準による支払を行う意向であったにもかかわらず、被害者が任意に訴訟による解決を選択した場合など、保険会社が支払基準に従った支払義務を任意に履行するケースを念頭においたものであり、本件のように保険会社が支払基準に即した保険金の訴訟外での支払を拒絶し、被害者がやむを得ず保険金を請求する訴訟を提起した場合には妥当しない。
イ 被告の主張
(ア) 支払基準については、訴訟外において自賠責保険会社が保険金又は損害賠償額を支払う場合には支払額算定の基準となるが、訴訟となった場合、裁判所に対する拘束力は否定されている(最高裁判所平成18年3月30日第1小法廷判決)。そして、いわゆる重過失減額制度も支払基準の一部を構成するものであるから、訴訟事案には適用されず、過失相殺についても通常の交通事故損害賠償請求訴訟におけるのと同様の判断基準に従って認定されることになると言わなければならない。
(イ) 被告は、訴訟外において、支払基準に従わずに保険金の支払を不当に拒否したことはない。被告が訴訟外における直接請求(自賠法16条に基づく請求)に対して支払をしなかったのは、本件事故について丙原が自賠法3条但書により免責され保有者責任を負わないと判断したからであり、前述したとおり、十分な根拠に基づくものである。
(3) 仮渡金返還請求の成否(反訴関係)
ア 被告の主張
(ア) 被告は、原告らに対し、自賠責保険金の仮渡金290万円を支払っているが、保有者に損害賠償責任が発生せず、保険会社にも保険填補の責任がない場合には、仮渡金の支払は法律上の原因がなかったことになるから、当然、被害者側に対して返還を請求できる(自賠法17条3項)。
(イ) また、被告は、仮渡金の支払に際し、原告らから「賠償責任が発生しない場合には仮渡金受領額全額を直ちに被告へ返還する。」旨の念書(乙18)も受領している。
(ウ) 前記(1)イ記載のとおり、自動車保有者である丙原には損害賠償責任が生じないから、原告らは、仮渡金を被告に返還する義務を負う。
イ 原告らの主張
(ア) 上記ア(ア)及び(イ)は認める。
(イ) しかし、保有者である丙原には損害賠償責任が発生しているから、返還すべき義務はない。
第3 当裁判所の判断
1 丙原の損害賠償責任の成否(争点1)について
(1) まず、本件事故における丙原の過失を見ると、青色信号に従って制限速度内で走行していたとしても、交差点内の交通の安全を確認しつつ進行すべき注意義務があると言わなければならず、本件交差点左右の安全確認が若干おろそかになって本件事故を発生させたと言うべきである。その意味では、丙原にも過失があったと言わざるを得ない。
(2) しかしながら、本件事故については、次郎が原動機付自転車を酒気帯び運転し、しかも赤色信号を無視する形で本件交差点に進入したことも事故発生の大きな要因となっている上、次郎の死亡原因が脳挫傷であることに鑑みると同人のヘルメット不着用も死亡という結果発生に大きく影響していると言わなければならない。
そうすると過失相殺の問題が出てくるが、損害の公平な分担という過失相殺の理念に照らすと、被害者・加害者双方の過失の対比により過失相殺率を判断する(いわゆる相対説)のが相当である。その場合、加害者側に過失があったとしても、その過失の程度が小さく、逆に被害者側の過失の程度が極めて大きいような場合には、過失相殺率10割と判断することもあり得ると言うべきである(その場合に加害者が無過失ということになるのではなく、被害者側の過失が加害者のそれと比較してあまりに大きいが故に、当該事故における損害賠償を加害者に負担させるのは公平でないということになる。)。これを本件において見るに、①丙原は青色信号表示に従って制限速度内で進行しており、過失の内容としては赤色信号を無視して進入してくる車両等の有無・動静に対する注意に止まること、②他方、次郎は赤色信号を無視して本件交差点に進入していること、③また、次郎は酒気帯び状態で原動機付自転車を運転してお
り、これが信号表示に従った運転を妨げた要因の一つと考えられること、④さらに、死亡事故という重大な結果が生じたのは、次郎がヘルメットを着用していなかったことも大きく影響していると言えること等の諸事情が指摘できるところ、これらを総合勘案すると、過失相殺率を10割と判断するのもやむを得ない。
したがって、結果的には、本件事故における丙原の損害賠償責任は認められない。
(3) そして、自動車損害賠償責任保険は、保有者が被害者に対して損害賠償責任を負担することによって被る損害を填補することを目的とする責任保険であるところ、被害者及び保有者双方の利便のための補助的手段として自賠法16条1項に基づいて被害者は保険会社に対して直接損害賠償額の支払を請求し得るものとしているから、この直接請求権の成立には自賠法3条による被害者ないし相続人の保有者に対する損害賠償請求権の存在が肯認されることが必要である(最高裁判所平成元年4月20日第1小法廷判決・民集43巻4号234ページ以下参照)。そうすると、本件においては、前記(2)判示のとおり、丙原に対する被害者側の損害賠償請求権の存在を肯認できないから、自賠法16条1項に基づく原告らの本訴請求は理由がないことになる。
2 仮渡金返還請求の成否(争点3)について
(1) 前記1判示のとおり、丙原の損害賠償責任が認められず、ひいては原告らの自賠法16条1項に基づく損害賠償請求権も肯認できない以上、被告が原告らに支払った仮渡金は、法律上の原因がないものになる。
(2) したがって、原告らは、被告に対し、不当利得返還請求権に応じて、仮渡金を返還しなければならない。
3 結論
以上のとおり、原告らの本訴請求は理由がないから棄却することとし、被告の反訴請求は理由があるから認容することとする(なお、仮執行の宣言は相当でないから付さないこととする。)。
(裁判官 藤田昌宏)